今度は ホンコンの活動家達が船で 尖閣諸島へ上陸して来て中国の魚釣島だと言い張る。

 中国のような巨大な領地をもちながら チベットにしてもなかなか 独立させない。

 さて昨日の続き:両親は、続けて2人の子供を亡くしてしまった事は 言葉に言い尽くせない程の悲しみだったと思います。私もやさしくて 何でも出来る(油絵、バィヨリン)自慢の姉でしたので悲しくて寂しくてなりませんでした。それまでは 何事も姉の後ろについていて 気の弱い私でしたが 1人残ったのでどんな事があっても 死んではいけないし 親に心配をかけたり 悲しませないように 「これからは しっかりしなくてはいけない」と自分に言い聞かせました。
 父の仕事は、外国との貿易の取引をしていました。父が長年暮らしていたオーストラリヤなど連合軍として戦争相手になってしまったので 貿易の仕事が出来なくなってしまいました。注文を受けていた品物など送る事が出来なくなってしまいました。父は その頃ガスも出なくなっていた お風呂の焚口で 不要になった書類や品物を燃やしていました。父にとっては若い時から海外生活が長く 貿易の仕事を頑張ってきたのに 戦争のために 仕事も出来なく その上 子供2人も亡くしてしまって どんなに辛かった事だろうと思う。きっと 焚口で燃やしながら心の中で男泣きをしていたに違いありません。
 空襲に備えて各家で防空壕を掘りました。両親は慣れない くわやスコップで空地に作りました。
父は 私のために デージーやスイトピーの花の種をその上や周りに蒔いてくれました。可愛いピンクの花が咲いて それを見ていると戦争の辛さを一時忘れさせられました。それ以来 私は、花好きになり 今も花育てが一番の趣味になっています。
 明日は学童疎開の事を書こう