昌子さん入院、吉野山花見

 昌子さん 不整脈は前から聞いていたが 急に体調が悪くなって診察に行ったら即入院と言う事になり 心臓の弁の電気信号が異常に動き息苦しくなって その上肺に水がたまっていたので水を抜いたそうだ。薬が合わなくて 体調が整う間入院と言うことになったそうだ。前、夜咳が出たり、息苦しくなって寝ずらいとは言って薬をもらっておられた。
見舞いに行ったら ちょっと しゃべるのが辛そうだった。心不全になったら大変だと義男さんが心配していた。ずけずけ言う弟なので 娘たちにお父さんがストレスを与えているのでこうなったのだと 言ったようだ。私もそうそうと同調した。暖かくなったら又どこかへ 行こうねと言っていたのに 残念ながら しばらく体調が良くなるまで一緒出来ない。イングランド安曇野など 誘って元気に行っていたから 「今度は どこへ連れっててもらおうかな 楽しみ」と彼女言っていたのに。10日程で昨日退院して様子をみるらしい。私より10も若いのだから 働き者で気を遣う方だからあせらずに養生して欲しい。薔薇好きの私たちなので 咲くまでに治りますように。
 昨日近所の人と3人で急に決めて 吉野山へお花見に行った。人、人、人でいっぱいだった。バス、ロープウェーイも沢山並んでいたので 登ることにした。

途中花吹雪の下でおにぎりを食べた。吉野と言えば何と学童疎開で暮らして以来だから 69年振りになる。私が住んだ湯川や旅館もあった。今は改装されてきれいになっていたが 懐かしい。近くの蔵王堂で寒い朝6時から体操をしたり清掃をしたりしたのも思い出す。今は通りは商店が並び色々なお土産物を売って賑やかだ。あの頃は 戦時中で何もなく 私たちも粗食でいつもお腹を空かしていた。虱が髪にわいて白い卵が まるで白髪のようだった。両親が面会日に来てくれて やせ細った様子を見て 先生にしばらく家へ連れて帰らせてもらうように頼んでくれた。帰ってしばらくして 大阪大空襲に会い 家はまる焼けで火の中逃げ迷ったものだ。東北の震災も大変だったろうけれど 私の経験した戦災も 物のない戦時中でいつ敵にやられるかの恐怖心でいっぱいだった。戦争は人災、これからは2度と無い様に祈る。